

?叁四郎池は正しくは心字池。一帯は加贺藩前田家の屋敷だった顷の名称で育徳园といいます

4月、広报室に1通のメールが左の看板の画像付きで届きました。送信者は农学部の4年生。「生态系构筑」という表现を锦鲤に用いるのは适切なのかと问题を提起し、叁四郎池についてあらためて考える企画をと诉える内容でした。そこで広报室では、生き物を爱する学生たち、叁四郎池周辺を调査してきた生态学の研究者、「育徳园のあり方検讨奥骋」の座长を务めた都市工学の研究者、学生たちが参加する教育プログラムの运営教员にもお声がけして座谈会を企画。叁四郎池について自由に话し合ってもらいました(6月25日)。锦鲤文化に详しい研究者の言叶もあわせて绍介します。150周年を前に叁四郎池について考えてみませんか?



中西 順に自己紹介をしていきましょう。私はOne Earth Guardians育成プログラム(OEGs)※1を担当しています。100年后も人と他の生物が共存するために行动を起こす科学者を育成しようというプログラムです。农学は人が自然の恵みを活用する必要から始まり、人が他の生物や环境とどう関係するのかを扱う学问です。今回の话もそうしたテーマに関するものだと思います。
锦鲤の「生态系构筑」に疑问が
长尾 农学部獣医学専修の4年生です。高校时代、构内に来た际にこの看板を见てオヤッと思い、入学后も叁四郎池に来るたび违和感を覚えていました。锦鲤に「生态系构筑」という言叶を使うのは外来种を広めるのを是とすることにならないか、それが农学部を持つ大学にあってよいのか、という问题意识です。モヤモヤしていて、翱贰骋蝉の活动のなかで中西先生に相谈した际に、本部広报に连络するよう助言され、メールを送ったという次第でした。
水野 私は工学部都市工学科です。500彩票网 GXSN※2の一員ですが、生物に詳しいわけではなく、OEGs同期の长尾さんに詳しくない人の例として誘われたと思います。茶道部に所属し、五月祭の際に三四郎池の畔で茶会を開催しています。
田中 所属は農学部保全生態学研究室です。长尾くんはOEGsと生物研究会※3の同期です。自分も看板が気になっていましたが、何かしようとは考えていませんでした。
菅原 所属は农学部森林动物学研究室です。爬虫类が好きで、叁四郎池を调査地の一つとして、カメなどの调査を进めています。叁四郎池は构内の名所というより调査场所の一つだと思っています。
池田 农学部森林动物学研究室の教授を务めています。生き物マニアというわけではなく、生き物マニアが多い研究室を运営しています。今日は前に翱贰骋蝉で昆虫のワークショップに携わった縁で参加しています。
自然と歴史と保健休养の価値
横张 私は工学系研究科都市工学専攻で教育研究生活を送り、特に都市の緑地环境を考えてきました。2014年、育徳园の将来计画を考える奥骋が発足し、私が主査を务めました。农、工、理、文、埋文の教员にお声がけし、约1年の议论を経て、2016年に报告书※4を出しました。そのなかでは育徳园の価値を3つに整理しました。自然环境、歴史の重层性、保健休养です。贵重な生き物がいるのでその保全が重要だ、江戸时代から残る歴史遗产が重要だ、特定の生物种でなく人と自然の関係性が重要だ……。様々な主张が出ましたが、皆で一致したのは、育徳园を覆い尽くすように繁茂していたシュロの扱いでした。どの立场から见てもまずいと一致し、その多くを取り除きました。しかし予算的な难しさもあり、报告书の提言で具体的に実施できた施策は限られ、以降は日常的な管理にとどまったように思います。ちなみに、この看板は知りませんでした。2016年にはなかったものです。
中西 报告书が时间スケールを积层して整理されているのが印象的でした。大名屋敷の庭池、防灾、教育?研究……と机能が変化しながらレイヤーが重なった上に现在の叁四郎池があり、池にどう向き合うかはその时代ごとの人々に开かれているという整理に腑が落ちる思いがしました。
横张 生態学の分野では最近、Novel ecosystemという考え方が提唱されつつあります。人間の影響で改変された自然も一つの生態系として認めようというもので、都市の生態系に関してよく言及されます。たとえば、明治期の東京の年平均気温は現在より約4度も低く、現在の仙台に相当します。一方、現在の東京の年平均気温は大分と同程度。130年で仙台から大分まで移ったようなものです。在来種の保全というと、人の影響が小さい時代にいた生物をリファレンスとするのが一般的ですが、その前提には、気候や地形など、地となる自然環境に変化がなく、人為影響だけが変化していることがあります。大分の生態系を考える際に、仙台にいる生物をリファレンスにすることが概念的に正しいのか。私は少々疑問です。
中西 确かに、外来种も変わりゆく生态系を构筑する一员と捉えることもできるかもしれませんね。では、最近の叁四郎池の生物相について教えてください。




叁四郎池の水は……「臭い」
菅原 胴长(胴付长靴)を着て池に入った际の印象は「臭い」でした。周辺の陆域の生态系は豊かです。爬虫类だとニホンカナヘビやヒガシニホントカゲやアオダイショウやシマヘビがいました。絶灭危惧滨?滨滨类が见つかるのは文京区だと小石川かここくらいでしょう。一方、水域の生态系は贫相です。见かけるのはコイ、アカミミガメ、クサガメ、ブラックバス、ブルーギル、アメリカザリガニなど。自分としてはバスやギルは駆除したい気持ちです。チョウやトンボはいますが、ゲンゴロウやガムシといった水生昆虫は全然いません。研究室の虫好きの先辈は「终わってる」と愚痴っていました。
田中 私は环境叁四郎※5というサークルで驹场の一二郎池を拠点に生物调査やイベントを行っています。一二郎池は、近所の子や家族连れが生き物を捕ったり犬を散歩させたりしていて、自然环境と保健休养の両方で使われています。自分は在来种主体の生态系を持つ池であってほしいです。弥生の圃场ではアマガエルが鸣き、ハイイロゲンゴロウもいます。叁四郎池も一二郎池も管理次第でそうした生き物が栖む可能性があると思います。ただ、日本では外来种も结构受け入れられていて、幼少时の思い出にアメリカザリガニ钓りを挙げる人もいます。どう合意を形成していけばばいいのかはわかりません。
在来种の方が环境教育に○?
池田 环境教育の场とするなら、在来种が多いほうが活用しやすいでしょう。本来いなかった地域に蛍を放すなど、よかれと思ってやったことが后に问题になることがありますが、叁四郎池の锦鲤もそうだったのかもしれませんね。环境教育がうまく进めば生物学はもっと発展します。かわいい动物やきれいな植物を守りたいと思うのは自然ですが、特定の种を守ると他の种が减るかもしれません。生物间の関係を踏まえた考え方を幼少时から育めればよいのですが。
中西 教育?研究の场であることに加え、アクセスしやすいという価値もあるでしょう。観光客や近隣の人も来やすいのはよいことですが、それで起きる问题もあります。
水野 この前、観光客が店で买ったパンを鲤にあげていたと闻き、衝撃でした。臭くて汚い叁四郎池ですが、歴史に価値を认める人が多いからか、ここで行う茶会は大人気です。个人的には、臭いや蚊が消えたら歓迎ですが、在来か外来かというのは割とどちらでもいいので、热意がある人たちの思いを尊重したいです。歴史に価値を感じている人の意见も闻くべきですが、现状叁四郎池は大事にされているとは言い难いですし、何かしら改善は必要でしょう。
昔はスケートも游泳もできた
中西 もとは大名屋敷だとか夏目漱石の小説が由来とか、なんとなくしか知らないですよね。报告书を読んで、大坂夏の阵の褒美だったとか、昔はスケートや游泳ができたとも知って惊きました。もっと人との関係が身近だった顷の姿を知りたくなります。
长尾 外来种を駆逐することが自然环境的に望ましくても、保健休养的にはよくないかもしれません。在来种は小さいことが多く、景観的には见栄えしません。掻い掘りをしても、ザリガニが泥に潜って駆除し切れないと后で大量繁殖するかもしれないし、外来种がいなくなると天敌が消えたボウフラが大量発生しかねません。极端な施策にはリスクが伴います。でも、谁もが一致できることもあります。臭い池がよいと思う人はいませんよね。微风でもいいから池に风を吹かせたいです。睡莲などの水生植物によって环境と景観の改善が両立できないか。学内の様々な専门家の知を集めれば何かできることがあると思うんです。
横张 重要な問題として、大学には外部空間の整備にまわす資金が十分にありません。研究なら外部資金を得る道もあり、建築物なら特別な予算を取ることもできますが、キャンパスの外部空間の整備の場合、大学全体にデフォルトで支給される予算から捻出するしか方法がありません。一方で、长尾さんのように声を上げる学生がいることは、大学の大きなポテンシャルです。
中西 学生と话すなかで掻い掘りのアイデアが出ました。掻い掘りには外来种駆除、水质改善のほか、多くの人が参加することの効果もあるようです。池の生き物を知ることができれば环境教育にも有効ですよね。
横张 重要なのは中心になって动く人がいるかどうか。无责任なことは言えませんが、学生が本気で提案すれば大学も动かざるを得ないはずです。ただ、いろいろな考えの人がいるので、调整は大変ですが。
中西 今后の叁四郎池に期待することは?
池田 陆域の多様な生物相は、ある程度粗い管理をしているからかもしれません。日本庭园のようにしっかり管理すると生物相は贫相になるでしょう。なので、个人的には现行のようにある程度ゆるく管理する状态がいいのではと思っています。
田中 叁四郎池に関心がある人たちが话せる场を作りたいんです。私の家から近い六义园では锦鲤やブラックバスを见かけます。陆域にはカナヘビもいて、叁四郎池と似ています。でも学生が関わりやすいのは叁四郎池。そこが大きな违いだと思います。
叁四郎池だけ臭いのはなぜ?
菅原 小石川や六义园の池は似ているけど臭くありません。底が泥か落ち叶かで変わるのでしょうか。私にはわからないので、水质改善にクリティカルなやり方が何なのかを调査してほしいと思います。
水野 このキャンパスの広さに対してこのサイズの緑があるのはすごいことだし、鬱苍としていて面白い空间だと思います。确かに、まずは水质调査が必要ですね。
长尾 今回は3人の先生にご参加いただく场を作れましたが、もう少しがんばればもっと多くの人が叁四郎池に兴味を持ってくれるようなアクションができるのではないかと思います。自分はあと3年は大学にいる予定なので、仲间を募って次の行动につなげたいと思っています※。
横张 教育研究の场である大学の主役は学生。学生がキャンパスについて提案したいというなら、大学は何かしら応えないといけないでしょう。一方で、提案が形になるにはどうしても时间がかかることも理解してほしい。后辈たちにも、皆さんの思いを伝えていってほしいです。
中西 将来、叁四郎池がこんなに爱されているのは実は今日の座谈会があったからかも、などと言われたら最高ですね。
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※5
人工の庭池なのか、
それが一番の问题です
生物学的には悪役にされがちな锦鲤。実は海外でも人気の日本発の観赏鱼です。锦鲤を爱する民俗学者に歴史を解説してもらいました。

池には、自然の池、人工池、当初は人工だが放置されて自然化しつつある、あるいは自然化した池の3种类があります。叁四郎池は江戸时代に加贺藩邸の庭池として人工的に整备されていたはずですが、现在は3番目の状态でしょう。人工の池では景観を彩る美しい锦鲤も、自然に近い状态の池では悪役にされがちです。ただ、锦鲤だけを外来种として否定するのはお门违い。それをいうならば野生鲤の多くが外来种です。
环境教育に重宝された时代も…
かつて、锦鲤が环境教育に使われた时代があります。稚鱼を放流して関心を持ってもらい、环境保护の机运を高めようという运动でした。别の鱼だと鮭の稚鱼を都市河川に放流した运动が有名です。しかし、生态学の进展に伴い、もともとそこにいなかった鱼を放つような运动は下火になりました。鲤が泥を搅拌すると光が通らず底部の水草が育たないという研究も出てきて、鲤が元々いない生态系に悪影响を及ぼすという认识も広がりました。科学の进展で生き物の社会的评価が変わった一例といえます。
锦鲤の歴史をたどると、江戸时代末期には存在していたようです。当时はまだ锦鲤の名はなく、新潟の山奥でたまたま発生したきれいな鲤を一部の人が大事に育てていたのでしょう。现在の长冈市や小千谷市の辺りにあった二十村郷が発祥とされます。大名屋敷に锦鲤がいたとは考えにくく、加贺藩邸时代の育徳园心字池にいた可能性もまずありません。
明治になって「红白」という品种が确立され、伝统的な知识と西洋の遗伝学的知识が融合してできたのが、白地の上に黒と赤が载る「大正叁色」。1914年の东京大正博覧会に锦鲤※が出品されて银杯を受けます。それを皇太子(后の昭和天皇)が気に入り、产地の人々が宫中に献上したことが宣伝となって日本各地に広がりました。米国大统领に寄赠された锦鲤がホワイトハウスで泳いでいた记録もあります。新潟の山奥のきれいな鱼が日本の文化となり、海外に进出したのです。
锦鲤ブームが田中角栄で増幅
高度経済成长で庭付き一戸建てが増え、锦鲤爱好家が増えました。ブームの立役者は新潟出身の田中角栄です。目白の御殿で锦鲤に饵をやる写真が「首班指名の朝」の题で新闻に载ったのが1972年。锦鲤品评会の书籍の题字に「国鱼」と挥毫したのも彼でした。后には金権政治が取り沙汰され、锦鲤を富裕层の趣味とする印象が强まることにもなりましたが……。その后、日本のファンが高齢化し爱好者は减りましたが、海外での人気が高まりました。オランダの碍辞颈ショーが最大で毎年数万人が集まります。现在、日本产锦鲤の8割は输出。レディ?ガガ、ブラッド?ピットなど海外着名人の爱好家も数多います。体型、模様、色などが评価されて世界王者に辉いた个体だと2亿円の値がつくこともあります。
新潟では锦鲤を「うちうお」と呼びます。本来家で饲うべき鱼なわけです。叁四郎池が庭池なら、锦鲤がいてもおかしくありません。ただ、爱好家としては适切に管理されてない池ではかわいそうだと思います。叁四郎池を适切に管理できないなら饲うべきではないでしょう。水草がある环境なら胜手に殖える可能性はありますが、放置しても美しい锦鲤には育ちません。锦鲤は生物学的动物ではなく文化的动物なのです。いずれにせよ、现状はベストではないでしょう。今后、叁四郎池をスタート时点のような人工の庭池として管理するのか、「自然らしい池」として人為的に管理する――语义矛盾がありますが――のか、それによって锦鲤の存在の可否が决められるのでしょう。ただ、人间が放した锦鲤を駆除するような身胜手は避けたいものです。
※ 当时は変鲤と呼ばれていた
錦鯉が歴史を語るYouTube 動画
「叁四郎池の生き物たちとの出会い」
2024年8月、驰辞耻罢耻产别の东京大学公式チャンネルにオリジナル动画が公开されました。叁四郎池で暮らす锦鲤が、池の来し方について英语でひとりごつという意欲作。演者は黄色っぽい锦鲤ですが、人间の言叶が话せないため、キャンパスの歴史に详しい人文社会学系研究科文化资源学研究専攻の松田阳先生がナレーションを务めています。
叁四郎池畔にいた爬虫类






浚渫が过去に数回行われている

本誌352号のp. 6には、1977年1月~3月の浚渫工事に協力を呼びかける記事が載っています。このときはカラス貝や日本刀や弾丸も出てきたとか。施設部の記録によると、浚渫が行われたのは1994年が最後。三四郎池がお色直しする次の機会は?
教育勅语の避难场所候补だった?
『文書館ニュース』61号p. 5によると、空襲時の教育勅語の扱いに関する1943年の伺書に「最悪ノ場合ニ於ケル奉護場所」として第一工学部水槽下あるいは池畔とメモ書きがあるそう。池は大学の宝を守る場でもあったのかも。
「石」と読める敷石も

池の畔では「石」と刻印されたような敷石も确认できます。何かに由来するものなのか、ただそう见えるだけなのか?
昔は「アヒル王国」だった
1951年に植物学の大贺一郎博士が検见川で発见した太古のハスの株が、1953年に叁四郎池に植えられました。その前年の1952年には、学内の空気を和らげようとの矢内原忠雄総长の提案と、ハスを食うザリガニ対策のために、アヒルが放たれました。一时は约30羽もの「アヒル王国」となり、人気を得ましたが、矢内原総长が退任した后には様々な要因が重なって数が减ってしまい……と1962年8月22日付毎日新闻が报じています。
滨尾新のヒマラヤスギ

池畔の巨大な滨尾新像の后ろには一本のヒマラヤスギがあります。根元にひっそりと置かれた碑にはこう记されています。「明治四十年の春故滨尾总长阁下が私にヒマラヤ杉の挿木を命せられました/そこで私は叁百餘本を挿しましたがたゝ゛一本を残して他は皆根を下ろしませんでした/その一本が即ち此の树です/大正十二年九月一日の大震火灾の时にも烧けず元气よく成长して恰も大学の前途を祝福するやうです/ことし昭和叁年九月许しを得此の碑を树の侧に建てゝ由绪を记すことゝなりました/四十年来の大学の老僕/松本百蔵」。ヒマラヤスギはもとは外来の针叶树ですが、叁四郎池の畔に根付いています。
※叁四郎池に
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